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大屋荘の地頭であったのが、長谷部信連(のぶつら)である。1186年(文治2年)、かつての武功を賞せられて源頼朝の家臣に加えられ、大屋荘の地頭に任命された。もともと長谷部信連は清和源氏で、4代前の李頼(すえより)が朝廷に仕え、その功によって長谷部の姓を賜り、以後大和国に住んだ。信連は1147年(久安3年)遠江国長邑に生まれたので、後に長谷部を改めて長(ちょう)というようになったと言われる。その後の長氏一族の発展は目覚しく、能登各地の地頭職として広く能登国を支配した。
【信連ゆかりの墓所や寺社】
ゆかりの場所としては、輪島市山岸町に信連墓所があり、輪島市西院内町の西光寺は信連が建立し、拠点とした寺である。鎌倉時代、長氏の宗家は輪島付近に在住したとみられるが、南北朝時代(14世紀)に穴水に居館を移し、穴水町川島に信連自作の像を祭る長谷部神社がある。
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