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第1話/原始時代の輪島
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輪島学
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■原始時代の輪島・・・・3万年前の旧石器時代の遺跡
 宅田上野山遺跡で発掘された石器は土器出現以前のものであり、この地には約3万年前から人が住んでいたことになる。3万年前と言えは、旧石器時代の後期でクロマニヨン人、つまり新人が出現した時期である。

【縄文人の生活跡】

 三井新保遺跡は約5500年前の縄文集落の跡である。ここで縄文土器が出土したが、尖底深鉢型からして縄文時代早期の終わりから前期の初めのものと推定される。また、獲物を捕獲する鏃や調理用道具なども出土している。この時期すでに人々の生活が営まれていたということである。

【弥生時代の集落跡】

 三井美登里ヶ丘(みいみどりがおか)に弥生時代末期〜古墳時代初期の集落跡が見つかっている。弥生時代といえば、稲作の伝来が第一に浮かぶ。朝鮮半島から北九州に渡った長身・高顔の人たちがもたらした文化である。稲作と農耕の発展は、よりその土地への定着を意味する。ひょっとしたら、ここから輪島の祖先が始まるのだろうか?
舳倉島の深湾洞遺跡では、イフ型石器とともに弥生前期の土器が出土している。