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第10話/海士町のいわれ
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輪島学
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■海士町のいわれ・・・・海士町のルーツは北九州
 河原田川の左岸に輪島港を囲むように岬が突き出しているが、その天然の良港である輪島港の背後地に位置して、海士(あま)町がある。その名の通り漁と関係が深い。住民は近世に西国、現在の福岡県鐘ヶ崎から移住してきたと言われる。毎年正月・2月ごろに能登へ鮑漁に来て、秋ごろに帰国するという生活をしているうちに鵜入(うにゅう)、さらに光浦に住み着くようになった。その後、人数が増えて住みにくくなったため、鳳至町と輪島崎の間の山畑の土地の拝領を願い出て許された。本格的に定住するようになったのは、1600年代初め(寛永期)からと言われる。

 北九州の海女たちは、日本海沿岸を上っていき、ある者は能登半島を経由して下北半島を回り、宮城県の牡鹿半島まで移動する。また、北九州のからの逆コースで鹿児島を通り、四国の南岸から紀伊半島に渡り、鳥羽から伊豆、房総半島まで移動したのである。

第10話@海士町の通り
↑海士町の通り
第10話A 輪島港から見える海士町の街角
↑輪島港から見える海士町の街角
第10話B海士町の裏通り
↑海士町の裏通り